ORIHIME’s diary

利用していたブログサービスが閉鎖となり、旧記事とともに引っ越してきました。テーマは「好奇心、感動、そして感謝」です。

オルフェウスの窓 魅力ある登場人物 ドミートリィ

 

ヴァイオリンの名手ドミートリィ

ドミートリィ・ミハイロフ

この壮大なストーリーの中で登場するのはほんの僅かですが強烈なインパクトがありました。6歳だったアレクセイの(筋が通っているとはいえ)おばあさまへの無礼な態度を笑い飛ばし、彼のやんちゃぶりを愛したドミートリィは魅力的で、アレクセイに通じるものがあります。

名門の侯爵家に生まれ、明晰な頭脳、音楽の才能、端麗な容姿など、これ以上は望めないほど何でも持っていた彼が何故に革命に身を投じていったのでしょうか。

ペテルスブルクではデカプリストの乱以降もたびたび貴族の若者たちによる皇帝や体制派への反乱事件が起きています。貴族の子弟はドイツ、フランス、イギリスなど外国の教師から教育を受けていました。ドミートリィとアレクセイ兄弟も、アルラウネの父エーゲノルフ教授からドイツ語、フランス語、歴史と地理を、イギリス人の先生からは英語と文学を学んでいました。国際的な視野を得て、ロシアの圧政に疑問を持つ機会も多かったと思います。

 

アレクセイにデカプリストの話をするドミートリィ

そういえば、クラウスがドイツ人として生きていた聖セバスチャン時代、完璧なドイツ語をどうやって覚えたのか不思議でした。6歳の頃から学んでいたので、ネイティブのドイツ語を話せたのですね。納得です。

貴族の子弟は多くの書物を読むことができました。その中には国民的詩人のプーシキンやデカプリストでシベリア流刑になった詩人オドエフスキーの書物がありました。デカプリストの乱でシベリアに流された青年貴族の尊い志しを讃えるものです。池田理代子さんは感動的な部分を抜粋してオル窓に掲載しています。さすがです。

成績優秀だったドミートリィは多くの書物を読んだと思います。当時世界で最も悲惨だったとされるロシアの農奴の実態も知ったでしょう。ドミートリィは人民を苦しめる帝政を憂い、革命への道を選んだのではないでしょうか。

ドミートリィは、会ったばかりの弟アレクセイに彼の想いを伝え、アレクセイは生涯兄の言葉を忘れることがありませんでした。コンプレックスや人を羨むことに無縁だったドミートリィは、嫉妬で友人を裏切ることなど考えもしなかったでしょう。ユーリィの裏切りは青天の霹靂だったと思います。ただ、ドミートリィはそれを知らずに逝ってしまった可能性が高いです。

 

権力の集中を警戒していたレーニンは、スターリンを危険視しながら死去してしまい、悪名高いスターリン独裁政権が生まれました。もしも、ドミートリィ、アレクセイ、レオニードのように、純粋に祖国を憂う人たちが政権の中枢にいたら、権力の集中やその独裁を許すことはなかったでしょう。

 

ヴァイオリンに興味を持つアレクセイを見つめるドミートリィ