ORIHIME’s diary

利用していたブログサービスが閉鎖となり、旧記事とともに引っ越してきました。テーマは「好奇心、感動、そして感謝」です。

20世紀の最も優れたアスリート

 

昨今、アスリートのランキングを検索すると、年俸、企業広告収入など金銭的なランキングの多さにビックリします。ここでは、スポーツにおける技術と実績を評価して選ばれた20世紀を代表するアスリートたちについて書こうと思います。

スポーツに関心のない方には退屈かもしれません。

サッカーに興味がある方は、ペレのゴール場面を集めた映像を是非ご覧ください。メッシもネイマールもまだまだ及ばないペレの凄さに圧倒され、彼が何故今もキング・オブ・サッカーと称されるのかが理解できます。今回のワールド杯カタール大会で、将来ペレを超えるかもしれない選手に会えるでしょうか。楽しみです(^^)

 

World Sports Awards of the Century 

20世紀ももうすぐ終わる1999年11月、20世紀に活躍したスポーツ関係者の中から最もすぐれた人々を選ぶ「世紀の世界スポーツ賞」がオーストリア・ウイーンで発表されました。アスリート部門で選ばれたのは以下11人です。審査員は、国際オリンピック委員会サマランチ会長、国際サッカー連盟ブラッター会長、国際自動車連盟マックス・モズリー会長、オリンピック出場経験があるスポーツ通のモナコのアルベール王子を筆頭に、国際スポーツ界で活躍する人々でした。

 

20世紀の最も優れたアスリート11名 

 

🇫🇷 アラン・プロスト (フランス) レーシングドライバー

1955年、フランス・ロワール出身。1985年から1993年迄F1ドライバーズチャンピオンに4回輝きました。F1では通算51勝。この記録は2001年のシューマッハまで更新されませんでした。

 

🇺🇸 マイケル・ジョーダン (アメリカ)  バスケットボール

1963年、ニューヨーク出身。現役15年間に、得点王10回、平均得点がNBA歴代1位、シカゴブルズを6回の優勝に導き、シーズンMVPを5回、ファイナルMVPを6回受賞しています。「ドリームチーム」の一員としてロサンゼルス、バルセロナの2回のオリンピックで優勝しました。現在はNBAシャーロット・ホーネットの筆頭オーナー。

 

🇩🇪 シュテフィ・グラフ (ドイツ・旧西ドイツ)  テニス

1969年、マンハイム出身。1982年から1999年の現役期間中、シングルスでグランドスラム4大大会の総てで優勝。それも全豪4回、全仏6回、全英7回、全米5回の優勝という驚異的な記録を立てています。オリンピックでは1988年ソウル大会で金、1992年バルセロナ大会で銀を獲得。ダブルスでも活躍しました。

 

🇹🇩 ナディア・コマネチ (ルーマニア) 体操

1961年、オネシュティ出身。1976年モントリオール五輪で3個の金メダルを獲得し、さらに、平均台と平行棒でオリンピック史上初めての10点満点を記録しました。1980年のモスクワ五輪でも2個の金メダルを獲得しています。

 

🇺🇸 カール・ルイス (アメリカ)   陸上

 1961年、アラバマ州出身。1984年ロサンゼルス五輪で100m、200m、走り幅跳、4x400mリレーの4種目で金、1988年ソウル五輪で100m、走り幅跳で金、1992年バルセロナ五輪でも100m、走り幅跳で金、1996年アトランタ大会では走り幅跳で金を獲得。走り幅跳では4大会連覇の記録をつくりました。世界陸上競技選手権でも大会記録を更新し、1991年東京大会では100m走で9.86秒という人類最速の記録をつくりました。

 

🇦🇺 ドーン・フレーザー (オーストラリア)   水泳

1937年、ニューサウスウエールズ出身。100m自由形で、1956年メルボルン五輪、1960年ローマ五輪、1964年東京五輪で金を獲得し、3連覇を果たしました。ほか、メルボルン五輪では400m自由形で銀、4x100mリレーで金、ローマ五輪では4x100mのリレーとメドレーリレー両方で銀に、東京では4x100mリレーの銀に貢献しています。1962年、100m自由形で女子として初めて1分の壁を破りました。

 

🇺🇸 マーク・スピッツ (アメリカ)   水泳

1950年、カリフォルニア州出身。1972年ミュンヘン五輪で、史上最多の7個の金メダルを獲得しました。内訳は、100mと200m自由形100mと200mバタフライ、4x100mリレー、4x200mリレー、4x100mメドレーリレーです。この記録は、マイケル・フェルプスが2008年北京五輪で8個のメダルを獲得するまで30年以上に亘り維持されました。

 

🇦🇹 アンネマリー・モザー=プレル (オーストリア)   スキー

1953年、ザルツブルク出身。1980年レークプラシッド五輪の滑降で金、1972年札幌五輪では滑降と大回転で銀を獲得しました。アルペンスキー世界選手権では滑降とアルペン複合の計4個の金、ワールドカップでは6回の総合優勝を果たし、別途滑降で7回、大回転で3回、複合で2回優勝しています。この記録は2015年にアメリカのリンゼイ・ボンに更新されるまで女子の最多記録でした。

 

🇫🇷 ジャン=クロード・キリー (フランス)  スキー

1943年、パリ郊外出身。1968年グルノーブル五輪で、滑降、回転、大回転で金を獲得し、トニー・ザイラー以来の三冠王となり、アルペン世界選手権では6個の金メダルに輝きました。トニー・ザイラーが選手権で獲得した金メダルは3個でした。三冠王のタイトルは未だ破られていません。

 

🇧🇷 ペレ (ブラジル)   サッカー

1940年、ミナスジェライス州出身。1958年スウェーデン大会、1862年チリ大会、1970年メキシコ大会の3回のW杯でブラジルを優勝に導きました。ほか、インターコンチネンタル杯(世界一) で2回、コパリベルタドーレス(南米一)で2回、サンパウロ州選手権では11回優勝しています。

 

🇺🇸 モハメド・アリ (アメリカ)  ボクシング

1942年ケンタッキー州出身。マルコムXに共感してイスラム教に改宗する前の名前はカシアス・クレイ。1960年ローマ五輪のライトヘビー級で金メダルを獲得。1964年、世界ヘビー級チャンピオンになってから数々の名勝負でボクシングファンを喜ばせました。3度のチャンピオン奪取に成功し、防衛は19回を記録しています。リング外でも、ベトナム戦争の徴兵拒否、湾岸危機時イラクの大統領と直接交渉してアメリカ人の人質開放に成功するなど多くの言動で話題を呼びました。晩年はパーキンソン病と闘いましたが、2016年、74歳で他界しました。

 

「世紀の世界スポーツ賞=最高のスポーツマン」の表彰式の模様です。

1999年11月19日 ウイーン国立歌劇場

 

マイケル・ジョーダンシュテフィ・グラフは欠席のため、映像で試合場面を紹介しています。

そして、その頂点に立つ最高のスポーツマン賞グランプリはペレが受賞しました。

 

🔹ウイーンの表彰式の20年前、フランスの歴史あるスポーツ紙レキップの主宰で行われた「世紀最高のスポーツマン」の投票結果(下記)でもペレが第1位に輝きました。

🔹ペレの実績を、サッカーレジェンドのマラドーナと数値で比べてみます。

A代表成績 

ペレ 92試合出場 77得点 

マラドーナ 94試合出場 34得点 

◎ワールド杯優勝 

ペレ 3回 

マラドーナ 1回

◎クラブ成績 

ペレ 773試合 712点 

マラドーナ 588試合 307点 

◎得点王 

ペレ 11回 

マラドーナ 3回

 

🔹エース背番号10番は、スウェーデン大会のペレの背番号が由来です。

🔹1966年ワールド杯イングランド大会でペレが相手チームから激しい妨害を受けたのですが、言語の問題などで審判の警告がうまく伝わりませんでした。警告を伝えやすくするため、1968年のメキシコシティ・オリンピックからイエロー&レッドカードが導入されました。

 

ペレが何故20世紀最高のアスリートに選ばれたのかが分かる映像です。

巧みなボールさばき、目を見張るドリブル、左右どちらの足からも決まる正確なシュート。メッシもネイマールもまだまだペレには及ばない・・・リアルタイムで見たかったです。

 

わたしはJリーグ発足前からワールドカップを見ています。テレビ東京は当時から多くのサッカー番組を放送しており、NHKは深夜にワールドカップの試合を放送していました。ネットがまだ普及していなかったので、サッカー情報誌「イレブン」を片手に試合を楽しみました。当時、日本がワールドカップに出場するのは夢の夢だったので実現した時は本当に嬉しかったです。今年こそ、ベストエイトに入りますように。グループEは強豪揃いですが、日本が実力を発揮できれば十分にいけると思います(^^)

お読みいただきありがとうございました。