ORIHIME’s diary

利用していたブログサービスが閉鎖となり、旧記事とともに引っ越してきました。テーマは「好奇心、感動、そして感謝」です。

スティーブ・ジョブズが「生涯の師」と仰いだ禅僧

スティーブ・ジョブズが生涯の師と仰いだ禅僧、乙川弘文の人物像に迫ったノンフィクション本「宿無し弘文 スティーブ・ジョブズの禅僧」

気難しく、人付き合いが悪く、徹底的にプライベートを守ったスティーブ・ジョブズが師と仰ぎ、生涯敬愛し続けた禅宗曹洞宗の僧、乙川弘文(オトガワコウブン)。精神世界を求めて悩んでいたジョブズが弘文と出会い、弘文と「禅」がどのようにジョブズジョブズが生み出した革新的な製品に関わっていったのかを描いたイラストブック「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」。

このイラストブックを翻訳した米国在住のジャーナリスト柳田由紀子さんはジョブズに多大な影響を与えた弘文に興味を抱きました。しかしながら弘文もジョブズもすでに世を去っていたため、8年をかけてアメリカ、ヨーロッパ、日本を巡り彼を知る人々にインタビューしてまとめたものがノンフィクション「宿無し弘文」です。著者の類稀な構成力と文章力で弘文の人物像が活き活きと描き出されて引き込まれます。

アメリカに渡った僧侶 

1938年、新潟県の由緒ある寺の三男に生まれ、駒沢大学京都大学大学院を卒業後、曹洞宗大本山永平寺で修行を終えた弘文は、アメリカで布教していた曹洞宗老師に請われて1967年に渡米しました。

仏教の堅苦しい形式にこだわらず、聞き上手で、常に自分より他人の気持ちを優先する弘文はアメリカの人々の心を掴んでいきました。ジョブズもその一人でした。若い時からインドを放浪するなど精神世界を探索していたジョブズはどう生きるべきか何をするべきか悩み、メンター(師)となる人を探していました。ジョブズは弘文に出会った瞬間にこの人だと閃いたようです。

東西文化の相違や東西両方の哲学の精神世界を語れるインテリで、厳しい修行を積んだホンモノの僧侶の弘文に、知的向上心が強かったジョブズは魅了されたようです。以来、弘文の死まで30年に亘りジョブズは弘文を敬愛し続けました。

自身が立ち上げたApple社を追放されてどん底にいたジョブズを救ったのも弘文でした。弘文は歩きながら瞑想する経行(キンヒン)をジョブズに教え、経行の実践からジョブズiPodの設計イデアを得たといいます。

事業の成功と名声を欲する一方、物質主義を否定するヒッピー精神を持っていたジョブズは自己矛盾に陥っていました。「永平寺で修行をしたい」と言うジョブズに弘文は「ここにないものは永平寺にもない。シリコンバレーにとどまれ。修行しながら実業家になればいい。事業と精神世界は矛盾しない」と答えたそうです。弘文の言葉に吹っ切れたジョブズは仕事に邁進し、iPodiPadiPhoneなどの革新的な商品を生み出していきました。アップル製品のシンプルで美しいデザインは、無駄なモノを削ぎ落としてシンプルさを追求する禅の影響が大きいと言われています。

称賛する人と嫌悪する人

インタビューでは大半の人が彼を称賛し、女性にもモテモテだった一方、嫌悪感を露わにする人もいて弘文の評価は真っ二つに分かれます。弘文の何事にも垣根を作らない思想、ルールにとらわれない禅の指導や請われると財布ごと渡してしまう無欲さを愛する人が多い中、お金と時間にルーズで宗教家らしからぬ女性関係と極度の飲酒を嫌悪する人たちもいます。

数万ドルのクレジットカードの請求を弟子たちが肩代わりしたり、二度の結婚と同棲した女性との間に5人の子どもがいたり、父親はいつも酔っていてシラフの父親を見たことがないと証言する彼の娘。約束の時間に現れず、数日後に遅れてすまないと時間単位ではなく日数単位で遅れて来たと証言する人もいました。

弘文は風に乗って漂う雲のように自然の流れに身を任せ、雲のように掴みどころがない風雲児だったようです。

かつて鄧小平は毛沢東について言いました。「彼の7割は素晴らしいが、後の3割は文革に代表されるように酷かった。この世に完璧はあり得ない。だからやっぱり毛沢東はすごいんだ」

 

弘文は2002年7月、門弟のスイスの別荘で、庭の池に落ちた娘の摩耶(5歳)を助けようとして娘と共に溺死、弘文は64歳でした。大人が溺れるような池ではないと彼の死は謎を呼びました。彼の死を知らされたジョブズは電話口でさめざめと泣き続けたそうです。

 

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アメリカのカウンターカルチャーだった禅

日本では歴史ある伝統文化とされる禅は、アメリカでは反体制文化、カウンターカルチャーでした。キリスト教一辺倒でアメリカ第一主義だった(トランプ氏の思想そのもの)アメリカにヒッピー世代が登場した60年代、若き革命児たちの思想は音楽、芸術、ベトナム反戦運動に浸透し、禅は精神世界を代表する反体制文化だったのです。

スティーブ・ジョブズと彼の仲間達の思想は「コンピューターを通じて世界を変革する」という管理社会に反発するヒッピー特有の反体制思想でした。つまり、コンピューターも反体制文化の一つだったのです。

ITは世界の社会構造に大変革をもたらし、もはやカウンターカルチャーではなくなりました。

もともとアメリカのIT産業界には禅が浸透していましたが、ジョブズの禅」に触発され、グーグル、インテルIBMフェイスブックなどのIT企業は禅を社員プログラムに取り入れるようになりました。膨大な情報に溺れかかっていた知的エリートたちは情報と自分を統御する術を禅と瞑想に求めたのです。その流れは今や米国防総省などアメリカ政府の中枢にまで及んでいるそうです。

 

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魅力的な弘文

この本から浮かび上がる弘文はとても魅力的です。インタビューを受けた多くの人が、弘文に逢えば彼を好きにならずにはいられないと語っています。禅僧は女性に人気があり、特に弘文は小柄でイケメンではなかったのに女性にモテモテで、結婚も同棲も女性からのアプローチだったようです。2回目の結婚は弘文が50過ぎで新婦は20代でした。僧侶たるものがと批判的な意見もありますが、私は彼に人間らしさを感じました。

この本を読むまで、アメリカ社会に禅が浸透していった経緯や禅がカウンターカルチャーとして欧米の人々に大きな影響を与えていたことを知りませんでした。

私はマッキントッシュが好きでした。パソコンのデザインや、アイコンや各ソフトの機能がおしゃれで、操作を間違えると目をパチクリさせるアイコンがお気に入りでした(^^)

もしもスティーブ・ジョブズが弘文に出会わなかったら、iPodiPadiPhoneは生まれなかったかもしれません。Appleファンの私は感慨深い思いに浸っています。