ORIHIME’s diary

利用していたブログサービスが閉鎖となり、旧記事とともに引っ越してきました。テーマは「好奇心、感動、そして感謝」です。

ロシアの善良な人々とロシアが生んだ芸術に思いを馳せる日々 

 

プーチン政権のロシア政府は許せませんが、祖国の暴挙に胸を痛める人々、処罰覚悟で抗議をする人々、世界の国々から出場や出演を拒否されるアスリートや芸術家たち・・ロシアの罪なき善良な人々の苦悩を思うと胸が痛くなります。

子どもの頃、中国の写真集を見た時のことです。確か昔の大連だったと思いますが日本人街の入口の門に大きな看板があり、そこには「犬と中国人は入るべからず」(支那人だったかもしれません)と書かれていました。信じられなくて父親に「入るべからず」の意味を確かめたほどです。日本人はどうしてこんなにひどいことをができたの?とわたしは泣きじゃくり、日本人であることが恥ずかしくて仕方がありませんでした。今のロシアにも、あの頃のわたしと同じように、自分の国に誇りを持てなくて悲しい思いをしている子どもたちがいるのではないかと思います。

思い起こすと、わたしたちは子どもの頃からロシアの民謡や童話に親しんで来ました。ロシアはわたしの芸術の故郷です。その故郷の貴重な芸術と善良な人々が、一握りの権力者たちのために世界から疎外されていることを深く憂いています。

 

❤️わたしのお気に入り

◯わたしが一番好きな音楽家チャイコフスキーです。

◯わたしが一番好きなオペラ歌手はディミトリー・ホロストフスキーです。

◯わたしのベスト3の画家の1人はカンディンスキーです。

◯わたしのベスト3の作家の1人はプーシキンです。

◯わたしが一番好きなバレエダンサーは、女性はフランスのシルヴィ・ギエムですが、男性はユーリ・ソロヴィヨフです。ルドルフ・ヌレエフの同期でヌレエフが唯一称賛したダンサーですが37歳で亡くなりました。ジャンプの高さは、あのイワン・ワシリーエフも真っ青です(^^)

いずれも皆、ロシアが生んだ芸術家です。

 

💛わたしが気になること 

◯東京のロシア大使館は時折、大使館の一部を開放して貴重な絵画などの美術品を見せてくれます。大使館のインテリアは質素ですが重厚で、宮殿によく見る曲線の美しい大きな階段と見事な絨毯が印象的でした。

アメリカ大使館が施設の一部を開放したという話は聞いたことがありません。それどころか入口はまるで要塞で、大使館の建物を撮影しようとするとお巡りさんがすっとんできて(申し訳なさそうに)撮影をやめさせます。大連の看板が脳裏に浮かびます。そんな大使館は他になく、首相官邸でさえも撮影OKです。

 

🧡わたしが嬉しかったこと 

2002年の日韓W杯。友人が奇跡的に対ロシア戦のチケットを入手してくれました。横浜総合競技場の指定の一階スタンド席に行くと隣はVIP席でした。最高の席と喜んだのは一瞬でした。周りは外国人ばかりで青いユニフォーム姿の観客は私たち4人だけ・・エッ? そこはロシアのサポーター席だったのです🙀😱。。。席はパラパラ空いていました。チケットは友人の従兄弟がロシア人の知人から手に入れてくれたのですが、彼もロシア席とは知らなかったようです。日本戦は超プラチナチケットだったので入場できただけでもラッキーでしたが・・。

遠慮がちに応援していましたが、稲本選手がゴールを決めたときは思わず立ち上がり大騒ぎをして・・ふと我に帰って周りを見ると、ロシアの人々がニコニコしながら私たちに拍手してくれたのです🥲🥲 私たちはそれぞれの方向に感謝のお辞儀をして、その後は健闘を讃え合いました。ロシアはノーゴールだったので拍手の機会はありませんでしたが、ロシアのすてきな人々とすてきな時間を過ごすことができました(^^)

 

💜わたしが感動したこと 

アメリカとソ連の冷戦真っ只中の1958年、宇宙開発でもアメリカとデッドヒートを演じていたソ連は、「アメリカにヨーロッパの芸術が解るか」とばかりに「チャイコフスキー国際ピアノコンクール」を立ち上げました。ところが、アメリカをコケにするために創設したこの芸術祭の初回で、よりにもよってアメリカのピアニストが優勝してしまったのです。23歳のヴァン・クライバーンでした。

大会役員たちはあわてましたがロシア人の審査員たちは1位はクライバーンしかいないと頑としてゆずりません。恐る恐るフルシチョフ首相にお伺いを立てるとフルシチョフは「彼が素晴らしかったのなら優勝させるべきじゃないの」とあっさり答え、クライバーンの優勝が決まりました。

 

最終選考会でチャイコフスキーの協奏曲第1番とラフマニノフの協奏曲第3番を演奏し終えたクライバーンに、モスクワの聴衆は8分間の拍手をおくったそうです。(わたしはチャイコフスキーの1番は大好きだけど、ラフマニノフは2番の方が好きだわぁ・・アンタの好みはどうでもいいのよ!) 

 

アメリカは狂喜乱舞し、ニューヨークで行われた凱旋パレードは人で埋め尽くされました。「たった一人で鉄のカーテンを破った」とクライバーンは時の寵児となり、アメリカのマスコミに振り回されて音楽活動に専念できなくなりました。国内だけでなく海外からも演奏会のオファーが殺到しましたが、どこへ行っても、いつまで経っても、チャイコフスキーラフマニノフの協奏曲が求められ、インタビューでソ連絡みの質問ばかりでした。彼を支えてきた父親とマネージャーの死をきっかけに、クライバーンは演奏活動をやめて第一線から退いてしまったのです。

演奏活動をやめてから9年後の1987年、レーガン大統領がソ連ゴルバチョフ書記長をホワイトハウスに招き、クライバーンのリサイタルを所望したのです。クライバーンは復帰しました。

 

ロシアはクライバーの芸術性を開花させて称賛し、アメリカは芸術性よりも政治的視点に重きを置いて彼の芸術性に蓋をしてしまいました。

初めて彼の生演奏を聴いたのは、彼がカムバックした後の2003年、オーチャードホールでした。謙虚な物腰ながら力強くされど優しさに溢れた演奏でした。評論家の評価は厳しいものでしたが、もの心ついた頃から彼のアルバムを聴いて育ち、彼の一時引退の経緯を知っていたわたしは感動しました。

モスクワの聴衆を魅了したクライバーンも素晴らしいし、冷戦というシリアスな政治の壁を超えて彼を讃えたロシアの人々も素晴らしいと思います。

 

4年に一度のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールが今年開催されました。大会委員会はロシアからの参加を認め、30人の出場者のうち6人をロシアが占め、銀メダルはロシアのピアニストでした。

 

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六本木〜寂しかった今年のハロウィン 

ハロウィン当日も直前の週末もコスプレ皆無。例年、コスプレの人々で賑わう交差点と交差点から東京タワー方面に向かう通りもガラ〜ンでした。

過去の六本木ハロウィンです。

 

撮影: ORIHIME