ORIHIME’s diary

利用していたブログサービスが閉鎖となり、旧記事とともに引っ越してきました。テーマは「好奇心、感動、そして感謝」です。

知っているようで知らない論語 ⑦ 勇者は懼れず

 

知者は惑わず ちしゃはまどわず

仁者は憂えず じんしゃはうれえず 

勇者は懼れず ゆうしゃはおそれず

 

知識と見識を持つ者は判断力があり迷わない。

私利私欲のない者はやましいところがないので気後れすることがない。

勇気ある者は何事にも恐れることがない。

 

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勇気ある者は恐れない

映画界の闇に立ち向かったローナン・ファロー

彼⬇️はただのイケメンくんではありません。15歳で大学を卒業した神童は弁護士資格を持つ社会派のジャーナリストになりました。彼は長年誰も手をつけることができなかった映画界のタブーに立ち向かい、30歳でピューリッツアー賞を受賞しました。

🟪 女優、女性スタッフへのセクハラを30年に亘り繰り返していた映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン

この事件は記憶に新しいと思います。彼は、映画「イングリッシュ・ペイシェント」「グッドウイル・ハンティング」「ロード・オブ・ザ・リング」「英国王のスピーチ」などの名作を数多く世に送り出した辣腕プロデューサーであり、独立系配給会社最大手ミラマックスの創設者でした。映画界の「パワー」の頂点にいた彼は配役をちらつかせて女優に性的関係を迫り、従わない女優には役を与えないように働きかけていたのです。彼の映画に関わった俳優、監督、製作関係者はこの事実を知りながら、保身のために見て見ぬフリをし続けました。

ワインスタインはアカデミー賞の常連でしたが、そこにも裏工作が・・

🟪 ワインスタインを映画界から追放したスクープ記事

2017年10月、ニューヨーク・タイムズ紙が、ワインスタインから性被害を受け、示談金でその事実を揉み消されたとする女性8人の証言を実名で報道。その5日後、ニューヨーカー誌がローナンの取材記事を掲載しました。セクハラ被害者20人の証言とワインスタインの強要を拒否して仕事が激減したとする女優たちの証言をそれを裏付ける情報とともに公にしたのです。続いて、実名で告発した女性たちの勇気に触発された被害者たちが続々と名乗り出て大騒ぎになりました。その中には人気女優、グウィネス・パルトローアンジェリーナ・ジョリーの名がありました。この騒ぎは♯MeToo運動に火をつけ、映画界を超えてメディア、政界、法曹界のセクハラ事件の摘発に発展したのです。

翌2018年、これらの報道によりニューヨーク・タイムズ紙と2人の女性記者、及び、ニューヨーカー誌とローナン・ファローはピューリッツアー賞報道部門公益賞 (Journalism "Public Service") を受賞しました。

ほとんどの訴えが時効を過ぎていて裁判の対象は2件だけでしたが、2018年、ニューヨーク最高裁は67歳のワインスタインに禁固23年の刑を言い渡し、2023年にはロサンゼルス地裁が禁錮16年を上乗せする判決を下しました。

🟪 ローナン・ファローの功績

ワインスタイン事件では、ニューヨーカー誌とローナン・ファローは先に報道したニューヨーク・タイムズの陰に隠れがちですが、ローナンは女性達の告発だけではなく、被害者や都合の悪いジャーナリストを沈黙させるワインスタインの悪辣な手口を明らかにしました。ユダヤ系のワインスタインはイスラエル諜報機関モサドの元工作員たちを雇い、ワインスタインにとって不都合な人物を監視させました。その人物が掴んだ情報を高値で買い取ってお蔵入りにしたり、その人物のスキャンダルを握って沈黙させたのです。ローナン自身も無言電話や脅しの警告を受けました。

弱みを握って抹殺することを英語で「キャッチ&キル」と言うそうです。ローナンはそれをタイトルにした彼の著書で、 セクハラとキャッチ&キルが映画界だけでなくメディア、政治、法曹の世界にも浸透しているとし、トランプ氏のスキャンダル揉み消し工作についても書いています。

タブーだった闇に深く切り込んだローナンの正義感と勇気は全米で賞賛され、彼の著書「キャッチ&キル」はタイム誌、ワシントンポスト紙、フォーチュン誌の年間ベストブックに選ばれてベストセラーになりました。

🟪 ローナン・ファローの驚きの経歴

ローナンは15歳でバード大学(コロンビア大学と分離した大学)を卒業。学位は哲学と生物学でした。16歳の時ユニセフの奉仕活動を始め、18歳でイェール大学に入学。法科で学び弁護士の資格を取得後、政府の仕事に就きました。オバマ政権下で外交のためのスピーチライターを務め、2011年、国務長官ヒラリー・クリントンに請われ、世界の青少年問題の特別顧問を務めたのです。

ジャーナリストを目指したローナンは政府を去り、ローズ奨学生としてオックスフォード大学で政治学の博士号を取得しました。帰国後、MSNBC (マイクロソフトNBCが共同で設立したニュース専用の放送局)のジャーナリスト兼キャスターとしてワインスタインの取材を敢行。ところがNBCが放送を許可しなかったため、ローナンはクビを覚悟でスクープをニューヨーカー誌に持ち込みました。NBCにはワインスタインの圧力があったと言われ、屈したNBCは視聴者から激しい非難を浴びました。

ローナン・ファローは映画監督ウディ・アレンと女優ミア・ファローの実子です。ユニセフの親善大使として精力的に活動していた母ミアの影響もあり、ローナンは16歳から8年間、イェール大学に入学後もユニセフの青年広報担当を務め、アフリカ中を旅して周りました。スーダンを訪れたときに重い骨の感染症を発症し、4年間の車椅子生活を余儀なくされましたが任務は最後まで全うしたそうです。

🟪 男を上げたブラッド・ピット

俳優、監督、映画関係者がワインスタインの暴挙を見て見ぬフリをして口をつぐんでいた中、1人だけワインスタインに立ち向かった俳優がいました。若き日のブラッド・ピットです。彼は、当時ガールフレンドだったグウィネス・パルトローがワインスタインからセクハラを受けたことを知りました。パルトローによると、ブラッド・ピットはワインスタインの胸に指を立てて「オレの彼女に二度と手を出すな」と言い切ったそうです。まだスターの手前だったピットには大きなリスクがあったのに、かっこいいですね(^^)

論語出典  

 

参照:  "INSIDER"、"SCREEN" 、" FRONTROW" 、Yahooニュース「LA在住ジャーナリスト猿渡由紀さんの記事」、Wikipedia "Ronan Farrow" English version、文春オンライン、AFP BB news

  

難病を克服した天才シンガー


ラッセル・ワトソン Russell Watson

 

The New York Times: "Sings like Pavarotti and entertains the audience like Sinatra"    ニューヨーク・タイムズ: 「歌えばパヴァロッティ、観客を楽しませる彼はシナトラのようだ」。

クラシック、ポップス、ジャズなど・・・ジャンルレスで歌声に様々な表情をもつ稀有なシンガー。

 

難病を克服して音楽シーンに帰ってきた
ラッセル・ワトソン

彼は母国イギリスで "People's Tenor" 「国民のテノール」と呼ばれています。ちなみに故ダイアナ妃は "People's Princess" 「国民のプリンセス」と呼ばれていました。

まずは、ラッセル・ワトソンのキャラが反映されている若き日のライブをご覧ください。2001年イギリス・リーズの野外コンサートから「ヴォラーレ

 

[遅咲きの苦労人]

ラッセル・ワトソンはマンチェスター市郊外の労働者階級の家庭に生まれました。「クラスの道化者」だったラッセルは16歳で学校を終えて工場で働き始めました

やがて結婚して家族ができたラッセルは生活費を補うために、夜、地元のパブやクラブで歌い始めます。ミートローフ、マイケル・ボルトン、ニール・ダイヤモンドらの歌が中心でした。90年代初頭、イギリスではBBCが1990年W杯イタリア大会のテーマ曲に使ったパバロッティの「ネッスンドルマ」が大流行していました。ラッセルはこのオペラアリアを歌うよう求められ、見様見真似で歌ったところ拍手喝采を浴びたのです。以来レパートリーにクラシックが加わりました。

クラシック、ポップス、ロックを自在に歌いこなすラッセルは様々なイベントに呼ばれるようになりましたが、あくまでも副業でした。ロンドンのウェンブリースタジアムで行われたラグビーのリーグ決勝戦では国歌を歌い観衆を魅了しました。次いで赤十字のチャリティイベントで彼の歌を聴いたマンチェスター・ユナイテッドFC の会長マーティン・エドワーズから声がかかったのです。クラブのホームスタジアムで開催されるプレミアリーグの最終試合で歌わないかと。前年、当クラブの記念試合で歌う予定が土壇場でキャンセルになった経緯がありましたが、会長からのオファーとなれば出演は確実でした。マンチェスター・ユナイテッドの大ファンでシーズンの通し席を持っていたラッセルには夢のようなオファーでした。

1999年5月、タキシードに身を包みピッチに立った若者は、5万7千人のサポーターの前で「ネッスンドルマ」を歌いました。割れんばかりのスタンディング・オベーションが鳴り止まなかったといいます。その模様は全国にテレビ放送され、無名の若者は一躍その名をイギリス中に知らしめたのでした。ラッセル・ワトソンがプロの歌手として飛躍する第一歩でした。

その場にいた著名なスポーツジャーナリスト、ポール・ヒンス氏はこう語っています。「有名なアリアをあんなふうに歌う歌手を初めてみた。滅多に褒めることをしない皮肉屋ばかりのプレス席の連中がみなスタンディング・オベーションに加わったんだ。彼の歌は "something special" (無二の特別なもの)だった」

プッチーニ作 歌劇"トゥーランドット"から「ネッスンドルマ


[遅咲きのデビュー]

翌年の2000年、ラッセルは大手レコード会社からクラシックアルバム「ザ・ヴォイス」でCDデビューを果たします。33歳でした。「ザ・ヴォイス」はクラシックチャートで52週間一位を独占する大記録を作りました。米国でもクラシックの一位になり、米英両国で首位を飾ったイギリス初の男性アーチストになったのです。

私はロンドンからのお土産でこのCDを入手しました。知らないアーチストでしたが、それまで聴いたことがない通る声で歌心がひしひしと伝わってくるクラシックの歌唱に衝撃を受けたことを憶えています。待ちに待った初来日コンサートにはすっ飛んで行きました。フルオーケストラをバックにクラシック、ポップス、ジャズを楽しく聴かせるコンサートは期待以上で、オーチャドホールでの2時間はあっという間でした。初来日時、ラッセルの大ファンというキャスターの筑紫哲也さんがご自分の番組の大半を使って、天才シンガー、ラッセルを紹介していました。

アルバム「ゴールデンヴォイス」のボーナストラック、Queenの「ボヘミアン・ラプソディー 。クラシック・アーチストがカバーする曲ではありませんよね(^^)

オペラ・ヴォイスで歌う「フニクリ、フニクラ」。(アンドレ・リウと)

 

[脳腫瘍に侵されて]
2006年、レコーディングのため米国ロサンゼルスに向かう飛行機の中でラッセルはひどい頭痛に襲われました。前年から頭痛に悩まされ、診断を仰いだ2人の専門家の診断はどちらも原因はストレスでした。ロスに到着してテニスでストレスを発散しようとしたラッセルはボールが見えなかったのです。慌てて検査をした結果、ゴルフボール2つ分のサイズの脳腫瘍が見つかりました。悪性ではなかったので2日間ロスでレコーディングを行い、イギリスに帰ってすぐに手術を受けました。腫瘍が視神経を圧迫していたため手術は鼻を通して行われ、5時間を要しました。術後2ヶ月ほど療養した後、復帰してやりかけだったジャズアルバムを完成させました。

[再発した脳腫瘍]

1年後の2007年、ラッセルは新しいアルバムの収録中、突然身体中が機能不全に陥りました。脳腫瘍の再発に脳内出血を伴い事態は深刻でした。緊急手術の後も危篤状態だったラッセルは集中治療室でしばらく生死の境を彷徨ったのです。命を取り留めた彼は5週間の放射線治療を受け、リハビリ生活に入ります。治療の副作用で頭髪が抜け落ち、ステロイドの影響で体重が増加したラッセルは風貌が激変していました。身体的にも精神的にも極限状態のラッセルでしたが、翌2008年、復帰を心に決めます。

復帰したラッセルは精力的に活動を再開しました。手術と治療は、ラッセルの声帯に影響を及ぼす可能性がありましたが幸いダメージはなく、ラッセルの声は深みが増したようでした。ラッセルは「8気筒から12気筒になった気分だよ」と語っていました。


ドイツ、ハンブルグ: マイクや音響装置を使わない伝統的なクラシック・パフォーマンス。  曲目 ラフマニノフ「エ・サラ・コジ E Sara Cosi」(パガニーニの主題による狂詩曲)  演奏 ハンブルグ交響楽団


拍手が鳴り止まないラッセルのライブコンサート。下はイギリス北アイルランド、ロンドンデリーでのコンサート。

来日公演も同様でした。アンコールを終えたラッセルが舞台から消えても拍手が鳴り止まず、帰りかけた楽団員が席に戻り、やがてラッセルが再登場。彼が舞台上から最前列のお客さんと握手をし始めると、私も私もと女性ファンが舞台下に駆けつけたのです。ラッセルは嬉しそうに握手をし続けました。どさくさに紛れてサインをねだる不届き者もいて(笑)、それに応えるラッセル。男性客は面白がって口笛と拍手で盛り上げます。ロックコンサートではないので警備員も少なく、舞台下は女性ファンで溢れて収拾がつかなくなりました。まるでアイドルのコンサートで、こんなクラシックコンサートは見たことがありません(笑)。すると、微笑みながら様子を見ていたラッセルの指揮者がピアノに向かいイタリア民謡を弾き始めました。ラッセルはゆっくりと移動して2回目のアンコール曲を歌い始め、舞台下の女性たちは係員に促されて席に戻り騒ぎは収まりました。

聞くところによると、コンサートが終了して観客のほとんどが会場を出た後、舞台袖にいたラッセルを見つけたファンが声を掛けるとラッセルが舞台に出てきたそうです。気付いたファンたちが駆け寄りサインをねだると、ラッセルは最後の1人までサインに応じたとか。1時間近くかかったそうです。大スターなのに、こんなに気取らずカッコつけないアーチストは見たことがありません(笑)。


50代になり成熟度が増したラッセル。イギリス、チェスターの「オペラ・グリル」という音響設備完備の、いわゆるディナーショーができるレストランでのライブです。曲目はアルバム「ザッツ・ライフ」に収録されている「ユー・メイク・ミー・フィール・ソー・ヤング」。フランク・シナトラの大ヒット曲です。

 

最後に名曲「ネラ・ファンタジア」を。原曲は映画「ミッション」の"ガブリエルのオーボエ"です。多くのオペラ歌手やアーチストにカバーされている人気曲ですが、その中でも作曲者のモリコーネに「ベスト・オブ・ザ・ベスト」と言わしめたラッセル・ワトソンの歌をお楽しみください。

 

最近のラッセル・ワトソン

 

[参考文献] PRIDE OF MANCHESTER, Russellers (Russell Watson's Fan Club), heart "SHOWBIZ", HELLO!, METRO "Entertainment", Wikipedia (English version)

アークヒルズのさくら祭♦️♦️昔ながらの紙芝居が大人気

 

1週間遅れの掲載になりましたが、東京赤坂アークヒルズで開催された恒例の桜祭りの模様です。すでに葉桜でしたが祭りの期間中、桜の花はがんばって散らずにいてくれました。

カラヤン広場。左手前はサントリーホール、奥はテレビ朝日のスタジオ、右手にはオフィスと店舗が入っている森ビルがあります。この日はサントリーホールが解放されて子どもたちが自由に入れるので小さな子どもたちでいっぱいです。

サントリーホール入口。モーツァルトさんが迎えてくれました。

ステージから客席を見ることができるとあって、ロビーからステージへの廊下は人でぎっしり。「三密の掟」は過去のものになりました。

 

カラヤン広場のグルメ屋台: ピザ(1ピース¥400)、白湯鶏麺(¥1000)、クラムチャウダー(¥800)とチキンタコス(¥600) ほか、たこ焼き、お好み焼き、ハンバーガー、ベトナムフォー、パスタ、トムヤムラーメンなど選ぶのに迷います。

 

ものづくりワークショップ通り:  植物染め、ガラスの小物づくりなど楽しく体験できます。

和紙を使った絵作りが人気でした。

小さな盆栽作りも。

 

この日一番盛り上がったのは昔ながらの紙芝居でした。パフォーマンスが始まる前から会場は集まった子どもたちの熱気でムンムン。紙芝居アーチストのちっちさんが登場して挨拶をすると子どもたちは街中に響き渡るような声で「コンニチワ〜!」。お芝居の前にちっちさんからクイズが出されると、答が分かっている子も分からない子も全員が手を挙げて「はーい!」。正解の子どもは好きなシールを貰えます。紙芝居が始まると食い入るように見つめて集中する子どもたち。子どもも大人も一つになって楽しめました。

東京都公認の免許を持つちっちさんは、都の公園や指定の施設でパフォーマンスができるヘブンアーチスト。大人も子どもも引きこむ語り口はさすがのプロフェッショナルです。ちっちさんの紙芝居の自転車には昔ながらのお菓子と人気キャラクターのシールも積まれています。

日が暮れてライトアップで輝くさくら。

大人の時間〜森ビル3階のレストラン街は「さくら横丁」に。どの店も特別メニューでお客さんを迎えます。料理はどれもドリンク一杯とおつまみ一品がついて一律¥1000とお得(^^)

レストラン街「さくら横丁」では男性と女性の流しのアーチストが盛り上げます。「何かフランク・シナトラの歌を」のリクエストにパリなかやまさんは「マイウエイ」を素敵な声で熱唱。2000曲のレパートリーを持つなかやまさんはリクエストに即座に応えます。ここでもテレビではお目にかかれないプロフェッショナリズムを見ることができました。

 

撮影: ORIHIME (グルメ屋台とさくら横丁の料理の写真は、アークヒルズさくらまつり公式サイトから借用しました。)


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アニメ、SNS、オンライン&デジタルゲームが溢れている今日、子どもたちがアナログの紙芝居に夢中になる姿にはほっとするものがあり嬉しかったです。日本独特の文化が継承されていることを嬉しく思います。

期間中、弦楽四重奏、オペラ歌手など様々なコンサートがありました。サントリーホールが選んでいるだけあり、どのパフォーマンスもクオリティーが高く堪能しましたが、お琴とピアノのデュオ「山水美樹&大野理津」のパフォーマンスが特に印象的でした。ビバルディの「四季」、ジャズアレンジのジブリメドレーが面白く、日本の1年を唱歌と童謡で綴る「月めくり」は郷愁を誘い涙ぐむ女性がいました。大野理津さんのアレンジがおしゃれで、山水美樹さんの琴の音色がとっても素敵だったのです。

今年のさくらまつりでは、和の文化が際立っていたように思います。

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箏の音を聴きたくなりました。

坂本龍一さんの「戦場のメリークリスマス」。編曲・演奏は沖政一志さん。箏演奏・作・編曲家。「夜を駆ける」など人気曲の編曲・演奏にも意欲的です。


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🎶 南米の琴「アルパ」🎶 

16世紀、南米の原住民は、キリスト教とともにヨーロッパから伝来したハープを、原地の材料で少しづつ改変を加え「アルパ」を完成させました。南米の琴アルパは、シンプルで明るい音色が魅力です。

日本には、アルパに魅せられて南米で修行した素晴らしいアルパ奏者が何人もいます。私は、日下部由美さんが南米で制作したアルバムを聴いてアルパの大ファンになりました。こちらはアルパの代表的な曲「カヒータ・デ・アルパ」。奏者はパラグアイでアルパを学んだ高木葉子さんです。


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アルゼンチンのアルパ奏者Daniel Jordanさんの"神演奏" 「イエスタデイ」をお楽しみ下さい。

 
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侍ジャパンの勝利を欧米のメディアはどう伝えた?

 

USA TODAY

   

ET March 21, 2023   大衆紙として全米一の発行部数を誇る全国紙

MIAMI — It was the magical matchup everyone in the baseball world wanted to see, a Hollywood script that defied belief.  And the legend of Ohtani just added another chapter.

マイアミ発:  それは野球界や野球ファンの誰もが見たかった、まるでハリウッド映画の筋書きのような魅力的な組み合わせだった。かくして、大谷の伝説にもう一章が加わった。

 

ET March 22, 2023  全米最大の発行部数を誇る経済紙

The World Baseball Classic Gets Its Fantasy Finale: Ohtani vs. Trout// The most memorable event of the 2023 baseball season took place on Tuesday night. Japan's Shohei Ohtani struck out Team USA' Mike Trout in a showdown between Los Angeles Angels teammates, with Japan winning the title as a result.

ワールド・ベースボール・クラシックは、"大谷vs.トラウト"という現実とは思えない魅惑的なフィナーレを迎えた。2023年の野球シーズンで最も記憶に残るイベントが火曜日の夜に開催された。日本の大谷翔平アメリカチームのマイク・トラウトと対戦。ロサンゼルス・エンジェルスのチームメイト同士の対決は、大谷がトラウトを三振に斬って取り、日本がタイトルを勝ち取った。



ET March 21, 2023 全米3位の発行部数を誇る日刊紙。

Shohei Ohtani's ability to dominate as a hitter and a pitcher delivered as a championship for Japan while establishing the WBC as a must-watch tournament.

大谷翔平の打者としても投手としても卓越した能力は、日本に優勝をもたらしたと同時に、WBCを必見の価値あるトーナメントに押し上げた。

 

ET March 21, 2023  ワシントンD.C.で発行しているが全国に読者がいる。ニューヨーク・タイムズに次ぎ多くのピューリッツアー賞を受賞(69回)している。

Shohei Ohtani did not jog in from the bullpen as most relievers do. A pant leg was muddied.  Mike Trout did not hurry to the on-deck circle.  He, too, took his time.  He, like all 36,098 in LoanDepot Park - like any baseball fan who ever dreamed up impossible matchups - had plenty of time to contemplate this moment: Ohtani vs. Trout, Americans down one run, with two outs in the ninth inning of the World Baseball Classic final.

With epic ending, Shohei Ohtani's Japan reclaims World Baseball Classic crown.

リリーフ投手は通常ブルペンから駆け足で登場するが(ウオームアップのため)、大谷翔平は走らなかった。ズボンの片足は泥まみれだった。マイク・トラウトは、ネクスト・バッターズ・サークル(次のバッターが控えて立つ場所)へ急がなかった。彼もまたゆっくりとマイペースで時間をかけていたので、ローンデポ・パークの全観客36,098人と、このあり得ない組み合わせを夢想だにしなかった野球ファンの誰もがそうであったように、この瞬間のために思いを巡らせる時間がたっぷりあった。大谷vs.トラウト: ワールド・ベースボール・クラシック勝戦の9回、1点差を追いかけるアメリカはツアーアウトだった。

驚きの最高のエンディングで大谷翔平日本はWBCの王座を奪還した。

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March 21, 2023 PT  アメリカ西部で最多、全米でニューヨーク・タイムズに次ぎ第4位の発行部数を誇る日刊紙

 "That's what everyone wanted to see."  How Shohei Ohtani fanned Mike Trout to win WBC.

大谷翔平マイク・トラウトをどんなふうに三振に討ち取ってWBCで優勝したのか、「これぞ誰もが見たかったものだ!」

(写真) The U.S. team congratulates Kyle Schwarber after he homered during the eighth inning. But the Americans' rally attempt fell short. 8回、ホームランを打ったカイル・シュラーバー選手を祝福するアメリカチーム。 しかしながらアメリカの反撃は及ばなかった。

Pitcher Shohei Otani, at top middle, celebrates after Japan beat the United States 3-2 in the World Baseball Classic title game. 日本がWBC決勝でアメリカを3対2で下し、勝利を祝う大谷翔平選手(中央トップ)
 

 

March 22, 2023 GMT  イギリスの大手一般紙。定期購読者数は50万人。

The two-way superstar’s once-in-a-century skillset led Japan over the US to a WBC championship while helping vault the tournament to a newfound levels of popularity.
二刀流スーパースターの100年に一度の一連の能力がアメリカを超えて日本にWBC優勝をもたらし、WBCトーナメントを新たなレベルの人気に押し上げた。

 

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サッカーが主流のヨーロッパでは、大谷選手とトラウト選手の闘いをサッカーでいえばキリアン・エムバペリオネル・メッシの一騎打ちと評しています。中南米のメディアについても知りたかったのですが言葉が解らず残念です。アメリカの新聞はどれも、自国チームが敗北を喫したにもかかわらず、大谷翔平選手の活躍を喜び讃えています。大谷翔平で始まり大谷翔平で終わったWBCでした。

誰と会っても誰と話しても話題はWBCで、野球に関心がなかった人々、特に多くの女性が積極的に観戦した(私もその一人です)ことが話題になっています。例にもれず私も大谷選手がお目当てでしたが、一次リーグが終わる頃には日本チームを完璧に把握していました。誰が欠けてもあの劇的な勝利はなかったでしょう。楽しくて感動的な2週間でした(^^)

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WBC出場のために帰国した大谷翔平選手の貴重なオフショット。友人が送ってくれました。友人の友人、そのまた友人が撮影したので出処不明です(^^:: 

準決勝戦と決勝戦で泥だらけのエースは喜怒哀楽を露わにしました。大声で鼓舞したり、グラブや帽子を投げ捨てる今まで見たことがない姿に、日本勝利への大谷選手の熱い思いが見えて感動しました。私服姿もきまっています🎶

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究極の癒し〜 天から響く音色

 

アンティークオルゴールの音色

ディスク型アンティークオルゴールを初めて聴いた時、天から響いてきたかのような美しく荘厳な音色にショックを受けました。世界初のディスク型オルゴールを開発したドイツ、シンフォニオン社のアップライト型で、泣くほど感動したのに曲名を思い出せません(^ ^;;


ディスク型アンティークオルゴール(生産期: 1880年〜1900年代初頭)

シリンダー式オルゴール(上)とディスク型オルゴール(下)

16世紀にゼンマイが発明されました。ゼンマイを巻き上げるとゼンマイは強く反発して逆の力が生まれ、それを利用してゼンマイで動く時計が開発されました。ゼンマイ時計は家庭用や個人用として普及し、やがて時計職人によりゼンマイ仕掛けのシリンダー式オルゴールが生まれました。当時のオルゴールは高級品でしたが、シリンダー式は、はねて音を出す櫛歯の数に制限があるため、曲の長さ、音の幅、曲数に限度がありました。

1880年代、ディスク型の登場により、オルゴール1台でさまざまなディスクをかけることができ、音量も大きくなり、プレス機で音盤のディスクを大量生産出来るようになったのです。シリンダー式は単音でピアノでいうと右手だけの演奏ですが、ディスクでは左手の伴奏が加わりました。大型のアップライト型の多くはコインで動くジュークボックスの走りとして娯楽場に置かれ、ポータブル型は家庭用として人気を博しました。ところが20世紀に入ると蓄音機の普及とともにオルゴールは衰退します。

第二次世界大戦後、オルゴールはその美しい音色を懐かしむ人々のために復活。安価なシリンダー式家庭用卓上オルゴールが普及して今に至っています。オルゴールは日本語です。海外では音楽の箱と呼ばれ、英語ではMusic Boxです。オルガンが語源ではないかと言われています。

 

ディスク型アンティークオルゴールが奏でる音色をお楽しみください。イヤホンで聴くと生音に近い音色をお楽しみいただけます。

 

アヴェマリア」グノー作 ミラ(スイス製)

 

神の御子は今宵しも」讃美歌 ステラ(スイス製)

 

「天使のセレナード」ガエターノ・ブラーガ作 レジーナ(アメリカ製)

 

「ウィーンの森の物語」Jシュトラウス2世作 ステラ(スイス製)

 

乙女の祈りバダジェフスカ作 ミラ(スイス製)

 

「ラデッキー行進曲」J・シュトラウス1世作 シンフォニオン(ドイツ製)  オルゴール機ディスクとも製造時期は140年前と思われます。

 

歌劇「カルメン」から「闘牛士の歌」ビゼー作 メーカー不明

 

映画「スティング」のテーマ曲。原曲は1902年 S・ジョプリン作「The Entertainer 」 ポーター(アメリカ製)

 

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アンティークの名器が奏でるさまざまな曲を楽しめるDVD

イオニア社が技術の限りを尽くして収録した28曲。シンフォニオン、ポリフォン、ステラ、ミラ、レジナの演奏を生音そのままに楽しめる名盤です。

A シンフォニオン"ロココ"  B シンフォニオン"ツインディスク"  C シンフォニオン"エロイカ"  D シンフォニオン"サンドリンガム"  E ポリフォン"スタイル6G"  F ポリフォン"オートチェンジャー"   G ポリフォン"ツインディスク"   H レジー"オートチェンジャー"  I レジー"ミュージカル・チャイナ・クローゼット" J レジー"ライオン"  K ステラ  L ミラ

スティーブ・ジョブズが「生涯の師」と仰いだ禅僧

スティーブ・ジョブズが生涯の師と仰いだ禅僧、乙川弘文の人物像に迫ったノンフィクション本「宿無し弘文 スティーブ・ジョブズの禅僧」

気難しく、人付き合いが悪く、徹底的にプライベートを守ったスティーブ・ジョブズが師と仰ぎ、生涯敬愛し続けた禅宗曹洞宗の僧、乙川弘文(オトガワコウブン)。精神世界を求めて悩んでいたジョブズが弘文と出会い、弘文と「禅」がどのようにジョブズジョブズが生み出した革新的な製品に関わっていったのかを描いたイラストブック「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」。

このイラストブックを翻訳した米国在住のジャーナリスト柳田由紀子さんはジョブズに多大な影響を与えた弘文に興味を抱きました。しかしながら弘文もジョブズもすでに世を去っていたため、8年をかけてアメリカ、ヨーロッパ、日本を巡り彼を知る人々にインタビューしてまとめたものがノンフィクション「宿無し弘文」です。著者の類稀な構成力と文章力で弘文の人物像が活き活きと描き出されて引き込まれます。

アメリカに渡った僧侶 

1938年、新潟県の由緒ある寺の三男に生まれ、駒沢大学京都大学大学院を卒業後、曹洞宗大本山永平寺で修行を終えた弘文は、アメリカで布教していた曹洞宗老師に請われて1967年に渡米しました。

仏教の堅苦しい形式にこだわらず、聞き上手で、常に自分より他人の気持ちを優先する弘文はアメリカの人々の心を掴んでいきました。ジョブズもその一人でした。若い時からインドを放浪するなど精神世界を探索していたジョブズはどう生きるべきか何をするべきか悩み、メンター(師)となる人を探していました。ジョブズは弘文に出会った瞬間にこの人だと閃いたようです。

東西文化の相違や東西両方の哲学の精神世界を語れるインテリで、厳しい修行を積んだホンモノの僧侶の弘文に、知的向上心が強かったジョブズは魅了されたようです。以来、弘文の死まで30年に亘りジョブズは弘文を敬愛し続けました。

自身が立ち上げたApple社を追放されてどん底にいたジョブズを救ったのも弘文でした。弘文は歩きながら瞑想する経行(キンヒン)をジョブズに教え、経行の実践からジョブズiPodの設計イデアを得たといいます。

事業の成功と名声を欲する一方、物質主義を否定するヒッピー精神を持っていたジョブズは自己矛盾に陥っていました。「永平寺で修行をしたい」と言うジョブズに弘文は「ここにないものは永平寺にもない。シリコンバレーにとどまれ。修行しながら実業家になればいい。事業と精神世界は矛盾しない」と答えたそうです。弘文の言葉に吹っ切れたジョブズは仕事に邁進し、iPodiPadiPhoneなどの革新的な商品を生み出していきました。アップル製品のシンプルで美しいデザインは、無駄なモノを削ぎ落としてシンプルさを追求する禅の影響が大きいと言われています。

称賛する人と嫌悪する人

インタビューでは大半の人が彼を称賛し、女性にもモテモテだった一方、嫌悪感を露わにする人もいて弘文の評価は真っ二つに分かれます。弘文の何事にも垣根を作らない思想、ルールにとらわれない禅の指導や請われると財布ごと渡してしまう無欲さを愛する人が多い中、お金と時間にルーズで宗教家らしからぬ女性関係と極度の飲酒を嫌悪する人たちもいます。

数万ドルのクレジットカードの請求を弟子たちが肩代わりしたり、二度の結婚と同棲した女性との間に5人の子どもがいたり、父親はいつも酔っていてシラフの父親を見たことがないと証言する彼の娘。約束の時間に現れず、数日後に遅れてすまないと時間単位ではなく日数単位で遅れて来たと証言する人もいました。

弘文は風に乗って漂う雲のように自然の流れに身を任せ、雲のように掴みどころがない風雲児だったようです。

かつて鄧小平は毛沢東について言いました。「彼の7割は素晴らしいが、後の3割は文革に代表されるように酷かった。この世に完璧はあり得ない。だからやっぱり毛沢東はすごいんだ」

 

弘文は2002年7月、門弟のスイスの別荘で、庭の池に落ちた娘の摩耶(5歳)を助けようとして娘と共に溺死、弘文は64歳でした。大人が溺れるような池ではないと彼の死は謎を呼びました。彼の死を知らされたジョブズは電話口でさめざめと泣き続けたそうです。

 

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アメリカのカウンターカルチャーだった禅

日本では歴史ある伝統文化とされる禅は、アメリカでは反体制文化、カウンターカルチャーでした。キリスト教一辺倒でアメリカ第一主義だった(トランプ氏の思想そのもの)アメリカにヒッピー世代が登場した60年代、若き革命児たちの思想は音楽、芸術、ベトナム反戦運動に浸透し、禅は精神世界を代表する反体制文化だったのです。

スティーブ・ジョブズと彼の仲間達の思想は「コンピューターを通じて世界を変革する」という管理社会に反発するヒッピー特有の反体制思想でした。つまり、コンピューターも反体制文化の一つだったのです。

ITは世界の社会構造に大変革をもたらし、もはやカウンターカルチャーではなくなりました。

もともとアメリカのIT産業界には禅が浸透していましたが、ジョブズの禅」に触発され、グーグル、インテルIBMフェイスブックなどのIT企業は禅を社員プログラムに取り入れるようになりました。膨大な情報に溺れかかっていた知的エリートたちは情報と自分を統御する術を禅と瞑想に求めたのです。その流れは今や米国防総省などアメリカ政府の中枢にまで及んでいるそうです。

 

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魅力的な弘文

この本から浮かび上がる弘文はとても魅力的です。インタビューを受けた多くの人が、弘文に逢えば彼を好きにならずにはいられないと語っています。禅僧は女性に人気があり、特に弘文は小柄でイケメンではなかったのに女性にモテモテで、結婚も同棲も女性からのアプローチだったようです。2回目の結婚は弘文が50過ぎで新婦は20代でした。僧侶たるものがと批判的な意見もありますが、私は彼に人間らしさを感じました。

この本を読むまで、アメリカ社会に禅が浸透していった経緯や禅がカウンターカルチャーとして欧米の人々に大きな影響を与えていたことを知りませんでした。

私はマッキントッシュが好きでした。パソコンのデザインや、アイコンや各ソフトの機能がおしゃれで、操作を間違えると目をパチクリさせるアイコンがお気に入りでした(^^)

もしもスティーブ・ジョブズが弘文に出会わなかったら、iPodiPadiPhoneは生まれなかったかもしれません。Appleファンの私は感慨深い思いに浸っています。

 

 

 

世界あれこれランキング(2)

🔻前記事「世界あれこれランキング」の消費税の欄、世界一税率が高いハンガリーについてブロガーさんから質問をいただき、追記しました。

 

🟫汚職が少ない/多い国ランキング

EU加入条件の一つとして政治の清潔度を求められたウクライナのゼレンスキー大統領が汚職の摘発を行っていますが、その数の多さに驚いています。ソ連が崩壊した後の東ヨーロッパでは汚職が蔓延していたと聞いたことがありますが、状況は変わっていないようですね。3年前、日本に半年間滞在したルーマニアの音楽家が、自国では賄賂なしには動かない役人が多く、クリーンな日本が羨ましいと嘆いていました。アジアではシンガポールが清潔感ナンバーワンです。世界汚職度マップを見ると汚職度が高い国の方が圧倒的に多くて残念です。

 

 

🟦警察官の数が少ない国ランキング

警察官が少ない国は犯罪率も低い相関関係にあるようです。北欧諸国は政治体制もクリーンで治安がよく、社会的な男女の差別がほとんどないと言われています。かつてアジアの拠点を東京に置いていた欧米の企業の多くが拠点をシンガポールに移しました。有利な税制によるものと思っていましたが、政治の透明度の高さと治安の良さもあってのことだったのかもしれません。

 

 

🟧再生可能エネルギー原子力による発電率が高い国ランキング

SDG'sとパリ協定で脱炭素を目指す現代社会では再生可能エネルギーによる発電が期待されています。カナダは豊富な水を使った水力発電が69%を占め、再生可能エネルギー使用率が世界一です。また石油、天然ガスなどの資源にも恵まれ、豊富な発電量を維持しており、電力をアメリカに輸出しています。再生可能エネルギーはまだコストがかかるため、資源が豊富なカナダやアメリカに比べ、ヨーロッパや日本は電気料金が高い傾向にあります。

 

🔸(番外) 日本の発電方法の割合

2021年の日本の発電では、温室効果ガスを排出する化石燃料が73%を占めています。日本の今後は、家庭にも導入されている太陽光の促進のほか、洋上風力、水素、アンモニア・エネルギーのさらなる研究開発が期待されています。

出典: 特定非営利活動法人isep 環境エネルギー政策研究所

 

 

🟩識字率が高い/低い国ランキング

幕末の日本、アメリカの初代公使タウンゼント・ハリスは、赤ん坊を背負った子守の少女が本を読んでいるのを見て仰天し、日本はあなどれないと本国に報告したといわれています。当時、労働者階級の小さな子どもが字を読み文章を理解することは欧米でも珍しかったと思います。私は日本の識字率は世界一と思っていたので、この結果は驚きでした。データはユニセフの「世界子ども白書2019」に基づきCIAがまとめたものです。ユニセフは日本の識字率の調査をしていませんが、小学校への就学率を参考にしました。日本には小学校に行っていない子どもが少なからずいるのです。その子達が字を読めないとは断定できないのですが非識字者とみなされ、日本の識字率が算定されたそうです。

 

 

🟪世界主要40都市・公共図書館の多い都市

識字率とは相関しなかったですね(^^;;

 

 

🟨世界主要39都市・美術館/博物館が多い都市

いずれも大都市ですが、人口比でみると、ヨーロッパの小都市がランクインするのではないかと思います。

 

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バレンタインデイのプレゼント

メゾンカイザーのチョコレートパン。トレンドに敏感で可愛い素敵なものを見つけるのが得意な友人からのプレゼントです。バケットに近い歯応えで食べ応えがあり、チョコレートが美味しいです(^^)