ORIHIME’s diary

利用していたブログサービスが閉鎖となり、旧記事とともに引っ越してきました。テーマは「好奇心、感動、そして感謝」です。

知っているようで知らない論語 ② 吾れ十有五にして

 

吾れ十有五にして学を志すわれじゅうゆうごにしてがくをこころざす

三十にして立つさんじゅうにしてたつ

四十にして惑わずしじゅうにしてまどわず

五十にして天命を知るごじゅうにしててんめいをしる

六十にして耳順ろくじゅうにしてみみしたがう

七十にして心の欲するところに従い、矩を踰えずななじゅうにしてこころのほっするところにしたがい、のりをこえず

私は15歳で学問を志した。

30歳で信念がかたまり、動揺しなくなった。

40歳になると、物事の処理、道理の理解の面で不明なところはなくなった。

50歳で天命を知り得て、天も人も怨まない境地になった。

60歳になると、意見を聞くだけで事の善し悪しや相手の品性がみて取れるようになった。

70歳になると、欲するままに何を言い何をやっても間違いを犯さなくなった。

志学(15歳)、而立(30歳)、不惑(40歳)、知命(50歳)、耳順(60歳)、従心(70歳)論語として有名ですが、その元となる話の全文をご存知の方は意外と少ないのではないかと思います。

孔子は紀元前551年、魯国(現代の山東省)に生まれました。15歳で学問を志し、19歳で結婚。20歳で倉庫と牧場の管理を任され、有能だったため今で言う国費留学生として周に留学。そこで老子から「礼」(社会秩序を保つための作法)を学びました。政変でしばらく国を離れた後に帰国。出世して国政を任せられますが、君主の堕落に失望して再び出国。幾つかの国を経て68歳の時に魯国に戻りましたが、5年後、73歳で死去しました。国中が彼の死を悲しみました。漢代の歴史家、司馬遷の言葉です。「学問を志すもので、孔子を師と仰がぬ者はいない。孔子こそは至上の聖人と言うべきである」

享年73歳。当時としては長寿だと思いますが、80代、90代まで存命だったらどんな言葉を残したでしょうか。孔子が生きた紀元前6世紀から5世紀には、ユダヤ教が確立し、お釈迦様が生まれたとされています。日本はまだ縄文時代で有史以前でした。

 

[出典] マンガ孔子の思想 講談社

 

 

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