ORIHIME’s diary

利用していたブログサービスが閉鎖となり、旧記事とともに引っ越してきました。テーマは「好奇心、感動、そして感謝」です。

オルフェウスの窓 魅力ある登場人物 アレクセイ (クラウス)

 

 

革命の闘士 アレクセイ・ミハイロフ

 

アレクセイ・ミハイロフ 

ドイツ名 クラウス・ゾンマーシュミット

茶目っ気があり、子ども時代からまったく変わらないやんちゃぶりが魅力的です。初めてこの作品を読んだ80年代、若かったわたしはクラウスに夢中でした。上級生やヴィルクリヒ先生にまで平気でタメ口をきくクラウスですが、不思議と彼らから一目置かれる存在で、下級生からも慕われていました。ヴァイオリンの腕が第一級ということもありますが、男気があったからでしょうね。

 

おばあさまの悪口を言ったアントニーナに制裁を加える7歳のアレクセイ

クラウスにはまったわたしは無謀にもドイツ・オーストリアへの一人旅を決行。ネット時代幕開け前だったので頼りは観光案内所だけでした。早速、ミュンヘンレーゲンスブルク間の電車に乗って、クラウスが飛び降りた鉄橋を探しました。なかったのです~ 何が?急行ではなく普通列車で往復して確かめましたが、鉄道のミュンヘンレーゲンスブルク間には鉄橋も川もありませんでした。

アレクセイの初恋の人はアルラウネでした。ユリウスに言わせると彼女はアネロッテ姉さまより美しい女性でした。第11巻では、「女のくせに・・」と陰口をたたかれても、自分が信じる道を堂々と進むアルラウネに魅かれていくアレクセイが描かれていました。アレクセイに相手にされず涙するアナスタシアの姿もありました。アレクセイは活発な女性が好きだったようです。もちろん、美しさも重要ポイントだったと思いますが。

ユリウスの美少年ぶりは校内でも評判でした。クラウスもユリウスの美しさに関心があったと思います。ユリウスはクラウスとの初対面で、イザークを庇って上級生のクラウスを殴り返しました。そんなやんちゃぶりもクラウスは好きだったと思います。兄のドミートリィがやんちゃな弟を愛したように。ユリウスが女の子と知ったとき、それまでの違和感が払しょくされ、お気に入りの気持ちが恋愛感情にシフトしたのではないでしょうか。

 

クラウスのお気に入り、イザークとユリウス

一方、クラウスを恋するようになったユリウスはかつてのユリウスではなくなりました。念願だった女の子になり、男としてのタガが一気に外れたのです。無理してつっぱっていた肩を緩めたり、やんちゃぶりがなりをひそめるのはありとしても、ユリウスが持っていた冷静さや洞察力までもがなりをひそめてしまうことってありなのでしょうか。ロシアに来てからは「ユリウス、どうしちゃったの?」という言動が目立つようになりました。

ロシアでユリウスと電撃的な再会をしたアレクセイ。追われていた彼は「俺のことは忘れて国に帰れ」と言って直ぐに立ち去りました。この後ユリウスは記憶をなくします。窓から落ちた衝撃よりも、やっと会えたクラウスの言葉がショックだったのかもしれません。 

アレクセイはアルラウネと袂を分かちボリシェビキに加わるためにモスクワに向かいます。途中、彼は革命活動に全身全霊をかけることを自身に誓い、ユリウスとの恋を断念する決意をします。

アレクセイが加わったモスクワのボリシェビキの蜂起は政府軍に抑え込まれ失敗。同志たちとともにアレクセイも逮捕されてシベリア流刑になりました。1905年12月のことでした。この後6年間の長きに亘り、アレクセイはシベリアで悲惨な獄中生活を送ることになります。

アレクセイをシベリアから救出する作戦を立てていた時、ミハイルとズボフスキーはシベリア関連書類の中に、ユスーポフ侯から助命嘆願書が提出され処刑が決まっていたアレクセイ・ミハイロフの刑が減刑されたとの記述をみて驚きます。このことはアレクセイに伝えられていたのでしょうか。

1911年、アレクセイはシベリアを脱出、ボリシェビキに復帰しました。翌年、アレクセイはまたもやユリウスに遭遇。記憶が一部しか戻っていないユリウスですが、直感で自分が愛したアレクセイと分かります。アレクセイはユリウスをきつく抱きしめました。鉄橋から飛び降りた時の抱擁を思い出しながら。

アレクセイはユリウスがレオニードのユスーポス邸で暮らしていたことに複雑な思いを抱いていて、ユリウスがレオニードの名前を口にする度に嫉妬する自分に嫌気がさしていました。革命のために2度もユリウスをふったのに今更何なのだと。ミハイルの心中事件が追い討ちをかけるようにアレクセイを打ちのめしました。革命家の活動と恋愛は両立しないと結論付けたアレクセイはユリウスをズボフスキーとガリーナに預けます。

ユリウスは夫を革命活動に送り出すガリーナを見て、夫が死ぬかもしれないのに平静でいられるロシア人はシベリアの氷のように冷たいと口を滑らせます。直ぐにガリーナに謝罪しますが、かつて男の子として生きていたころのユリウスにはあり得ない発言でした。

家に向かってくる憲兵の姿を見たガリーナはユリウスを床下に隠します。暴行されたガリーナは叫び声をあげずにユリウスを護り、お腹の赤ん坊とともに息を引き取りました。ズボフスキーはアレクセイに「ガリーナはその人を護ろうとした。闘うだけが人生ではない。愛が勇気と意志を強くしてくれることをおまえは学んだほうがいい」と言い、ガリーナを抱き上げて部屋を出て行きました。涙、涙。

人々の愛によってふたりは生かされているとアレクセイは感じました。この大いなる愛の前に喜びを持って生きることにもう躊躇することはない、だからユリウスを命の限り愛すると彼は話します。人々に生かされることがユリウスを愛することにどう結びつくのかよく分かりませんが、命がけでロシアに来たユリウスの想いがようやく報われた時でした。それ自体はユリウスにとってもアレクセイにとってもホントによかったと思いました。アレクセイとユリウスは愛を確かめ合い激しく抱き合いましたが、その日はユリウスを守ってガリーナと赤ちゃんが亡くなった日で、わたしとしては複雑な思いでした。アレクセイの傷が癒えた時、ふたりは初めて結ばれました。

クラウスとユリウスは幸せに暮らし始めます。それは破滅への道でもありました。

 

アレクセイを革命闘士に育てたアルラウネ

かつてシューラに愛を告白されたアレクセイは正直な気持ちを彼女に伝えますが(何でそこまでいうかなぁ〜)、それは彼女の告白を全否定するに等しいものでした。シューラは後にアレクセイとユリウスが結婚したことを知り、アレクセイを苦しめるため、ミハイロフ邸の襲撃を扇動します。アレクセイは男気がありますが、昔から真っ直ぐ過ぎるため、短絡的で配慮に欠けるところがあります。冷静で聡明だったアルラウネが彼にとってどれほど重要だったかよく分かりました。

アナスタシアはアレクセイをシベリアから救いだすために力を尽くしました。ミハイル事件でアナスタシア救出作戦を中止したその日にアレクセイとユリウスは再々会しました。以降アレクセイはアナスタシアの救出作戦を立てることはなく、5年もあったのに、恩人のアナスタシアについて言及することもありませんでした。

レオニードに異常なまでに忠実だったロストフスキーを間近でみていたのに、彼を微塵も疑わなかったユリウスはアレクセイたちのスパイあぶり出し作戦を台無しにしました。昔のユリウスだったら、ロストフスキーがユスーポフ侯の部下だったことをアレクセイに告げ、念のため気をつけるようにと忠告したでしょう。

運命の日、薄々罠だとわかっていたアレクセイ。危険だから女性を迎えに行かせたらと忠告するズボフスキーに、命をかける親父の姿を見せたいといかにもカッコいいセリフを言うアレクセイですが、アレクセイを助けて死んでいったシベリアの仲間たちのためにも、そう簡単に命をかけるべきでありませんガリーナが亡くなった日、アレクセイ自身が「シベリアの仲間がくれたこの命、生命の限り生き続けなくてはならぬ」と言っていたはずです。人々に生かされるということは彼らが果たせなかった無念を体現するということで、そのためには軽はずみな行動は慎むべきでしょう。一方、ユリウスは罠と分かっていたので憲兵たちが潜んでいることは百も承知だったはずです。

そして、オルフェウスの窓の審判が下されました。

アレクセイの名を叫んでしまったユリウスは最愛の人を失ないます。アレクセイの死にユリウス自身が関わるという残酷なものでした。

ふたりが互いの愛を初めて確かめたのは、クラウスが汽車から川に飛び降りてユリウスときつく抱きしめ合った時でした。その時のクラウスの言葉が「ばかたれ、俺を殺す気か」でした。今にしてみると将来を暗示するものでした。

 

ロシア時代のアレクセイとユリウス